先日に続きツバキ。以前「椿は難しい」と書きました。
難しい理由としては材料としてみた時に単純に扱いにくいこと、それともうひとつは椿がもつイメージです。
古典的であり慣習がある。椿自体に意味をすでに持たされています。
いけばなでは他にもこういった花材がいくつかあるんですが、例えば節句の花→桃、菊、松などがあります。
自然崇拝または植物信仰ともいわれているんですが、ただの植物として見るのではなく、神の依り代ととらえたり子孫繁栄の願いを込めたりします。

そしてもうひとつ椿をいけるにあたって難しい事があります。
それは「新しい表現をする」ことです。

今学んでいる流派は日本文化であるいけばなの精神を軸に持ちながら、固定観念にとらわれず自由な表現をしていくという目標を掲げています。実は前回の椿は「新しい表現」を念頭に、今まで誰もした事がない様なことをしていけ、高名な先生に講評を頂いたのですが全く評価されませんでした。技術も何もかもがなっていないと。

伝統  慣習  常識  ・・・

それから1ヶ月何度か自分で基本を研究していました。今回同じ先生に講評を頂く機会を得たので、もう一度椿をいけました。ここで表題の及第点につながります。まずまず合格だといわれたんです。うれしかった!

でもまた新しい課題です。
基本や技術や常識を身につけながらそれを壊し、離れ、新しいものを創りだすということ。
そして認められること。
ひとりよがりになっちゃだめなんですね。


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